等々力、成城、玉川田園調布、世田谷区の高級住宅地


東京都内には、いくつか高級住宅街と呼ばれるところが在します。高級住宅街と呼ばれる成り立ちにはだいたい2つのパターンに分けられ、千代田区の「番町」や渋谷の「松濤」に代表されるような江戸時代の大名や旗本などの武家屋敷に起源があるものと、田園調布のように明治〜昭和にかけての開発に起源を持つものです。
千代田区や中央区、また文京区のような江戸城(皇居)近くの区にある高級住宅街は武家屋敷系統になりますし、世田谷区のように明治になるまでは農地や牧場だった地域にある高級住宅街は、近年開発されたものになります。

今回の記事では、明治以降に開発された世田谷区にある高級住宅街のまとめをお届けします。

東京の高級住宅地とはどんなところか?

いわゆる高級住宅地というところは、決してそこに住む富裕層の人数で決まるわけではありません。また、地価や路線価が高ければ高級住宅地になるというものでもありません。特に都内の場合は、以下のような条件を満たす地域が高級住宅地として扱われがちです。

戸建てがメイン

近年はタワーマンションの方が人気かもしれませんが、伝統的な高級住宅地では高層階住宅は好まれません。基本は一戸建ての豪邸ばかりで、マンションはあったとしても低層階が基本です。

一戸の区画が大きい

当然ですが、一戸建ても分譲住宅のような小規模なものではなく、最低でも100坪はあるような広大なものばかりです。

高台にある

街は高台にあるか低層にあるかで、体感的な湿度や湿度、風通しなどが大きく変わります。そのため、特に空調設備が未発達だった近代以前は、どこの国でも高台には貴族や富裕層の邸宅があり、下層には一般庶民の住宅があるというふうにして多くの都市が形成されてきました。
その名残で、現代でも歴史ある高級住宅地は高台にあることが多いのです。

街のデザイン性と規模感

高級住宅地の中には、街の美観を維持するために、法的強制力はないものの、地域で住宅建築などに関する規約を設けている場合があります。
また、住宅街の開発過程で一定の規模感を維持することが重視されてきたので、規模感とデザイン性の両立が図られています。

東京の高級住宅街のメリット・デメリット

富裕層になったからといって、必ずしも高級住宅地に住まなければならないということはありません。その人の価値観や感性によってはもっと庶民的なエリアや、寧ろ郊外の自然豊かなエリアの方が好きという場合もあるでしょう。また、仕事に便利なオフィス街の近くで暮らしたいという方も多いとおもいます。

そうした適性の違いを把握するためにも、高級住宅街のメリット・デメリットを見ていきましょう。

高級住宅街のメリット

・豊かな自然や四季の移ろいを感じれる
多くの高級住宅街が戸建て中心で、各宅が庭を所有しており、公園や街路樹なども整備されているため、自然豊かな環境です。四季の移ろいを感じて暮らされたい方や緑が好きな方、穏やかな時間を大事にしたい方には合っているでしょう。

・治安が良い
高級住宅街に住む上での一番のメリットは治安の良さかもしれません。一定上の資産や収入のある人しか暮らしていないので、おかしな人や変な人が居住する確率が低く、治安が良いのが特長です。
富裕層の多いエリアなので、泥棒や犯罪者集団に狙われるのではと思われるかもしれませんが、防犯対策に力を入れている家が多いので、逆に狙われづらいのです。夜出歩くのにも安心できるのは大きなメリットでしょう。

・地盤が良い場合が多い
高級住宅地はかつての大名屋敷跡という場合も多く、そのために地盤が安定したところを選んで開発されてきたので、地震や水害などにも強い場合が多いです。

高級住宅街のデメリット

・買い物に不便
多くの高級住宅街では、その圏内のであまり買い物スポットが充実していません。車などを所有して買いに行く前提で街が成り立っているでしょうが、運転に支障が出てくると不便を感じることが増えてくると思います。

・仕事に不便な場合も多い

特に郊外型の高級住宅地の場合、あまり都心へのアクセスは良くありません。都心で仕事をしており、職住接近を実現したい人には不向きでしょう。

世田谷区の成り立ち

現在、東京が日本の首都として発展しているのは、戦国時代に最終的に天下を制した徳川家康が幕府を江戸に起き、そこを日本の首都としたことに端を発しています。
ただ以前の歴史の教科書では、徳川家康が豊臣秀吉より江戸を含む関東の地を受領し、その開発を行うまで江戸は寂れた寒村だとされてきました。しかし近年の研究によれば、これは徳川幕府の業績を大きなものにするための歴史の修正で、徳川家が開発を行う以前より関東平野の交通の要所として発展していたそうです。

なお江戸の範囲は現代人が都心として認識している東京23区よりも狭く、現在では高級住宅街として有名な杉並区や今回のテーマである世田谷区は含まれていませんでした。江戸時代、現在の世田谷区の地域は幕府直轄ではあるものの、武蔵国という別の地方群だったのです。
世田谷が東京になったのは割と最近で、1871年の廃藩置県の際にその一部が東京都東京府荏原郡となり、更にそれらの地域が1932年に世田谷区として編入されたのです。

東京都23区はほとんどの地域が高温多湿を特徴に持つ太平洋気候に属しますが、世田谷区は都内では珍しい内陸性気候に分類されます。そのため、他の23区の地域に比較して湿度が低く、冬は寒いけど夏は(比較的)涼しいという特徴を持ちます。
東京は冬の寒さよりも夏の暑さの方が気候的に厳しいと感じる人が多いので、世田谷区は住宅街として適した気候特性を持つと言えるかもしれません。

現在の世田谷区はどんなところか

現在の世田谷区の特長ですが、リクルートが運営するSUUMOの住みたい街ランキングでも常に上位を占めており、住宅地としての人気の高さが伺えます。また、事実、人口も東京23区内で1位と人気の高さが感じられます。ただ、人工密度は13番目と決してそれほど高くはありません。のびのびと暮らすことができるでしょう。

また、交通機関がとても発達しており、基軸となる東急田園都市線の各駅から、区内の各施設へはバスでのアクセスが容易となっています。区による10路線のコミュニティバスの整備も進んでおり、お年寄りや子供にとっても暮らしやすいエリアとなっているのです。
また、自然環境の点でも大変優れており、緑地の多さは23区内でも屈指のレベルです。もともと世田谷区のあるエリアは上でも述べたように農村だったのですが、その豊かな自然を活かす形で住宅開発が行われてきたことの成果と言えるでしょう。

他に、二子玉川を始めとした再開発エリアの充実も特筆に値します。二子玉川ライズとして再開発された二子玉川では、幅広いアイテムを取り扱う蔦屋家電を始め、多くの店舗が入っており、また隣接する二子玉川公園も整備され、世田谷区らしい最新トレンドと自然の調和を実現しているのです。

世田谷の高級住宅街

千代田区や中央区など異なり、江戸時代は首都に含まれなかった世田谷区は、明治になるまでその大部分は農地や牧場でした。そうした農地を切り開き、開発を行ったのが日本資本主義の父などとも呼ばれる渋沢栄一などの実業家達です。
彼らは現東急グループの前身でもある田園都市株式会社などを始めたとした企業を設立し、都心からの鉄道の敷設と住宅地としての開発を行っていったのです。

具体的に見ていきましょう。

玉川田園調布


東急大井町線九品仏駅や東急東横線田園調布駅が最寄駅の玉川田園調布。
玉川田園調布は都内でも屈指の高級住宅街ですが、世田谷区の高級住宅街を語る上で最も重要かもしれません。それと言うのも、明治〜昭和にかけて近隣の住宅地開発のモデルケースでもあったからです。
現在の大田区田園調布と世田谷区玉川田園調布を合わせた一帯は、渋沢栄一らによって立ち上げられた田園都市株式会社によって開発が行われました。

この会社は渋沢栄一が当時イギリスにて提唱されていた理想的な住宅地としての田園都市構想を日本でも形にすることを目的に立ち上げた会社です。そのコンセプトは、都市の外側を緑地や田園で囲むことで、交通渋滞や公害のない、暮らしやすい住宅環境を生み出そうというものです。
当時のヨーロッパを模倣して街全体が作られていますので、そうした傾向が住宅のデザインや駅前から放射状に延びる街路などに残っています。

等々力


東急大井町線の等々力駅や尾山台駅が最寄駅の等々力駅。
等々力はもともと等々力村という地名で、その等々力村が東京都世田谷区と神奈川県川崎市に分割・編入されていったという経緯があります。等々力の住宅街としての特徴は、何と言っても都内では貴重な自然渓谷、等々力渓谷の存在でしょう。23区では唯一の渓谷公園も置かれています。
散策してみるとここが23区内であることを忘れてしまうほど豊かな自然が残されているのです。

なお等々力の開発は田園調布の開発の成功に刺激を受けた等々力の旧家出身、豊田正治村長が発表した「玉川全円耕地整理」構想に端を発しています。
また等々力の開発成功の影響を受けて周辺の上野毛や深沢などの住宅地開発も進んで行ったのです。

成城


小田急小田原線成城学園前駅近くの成城学園。
田園調布と同じく都内屈指の高級住宅街であり、芸能人や文化人が多く住む成城も明治から昭和にかけて開発が進んでいった地域です。特に昭和初期に小田急線の成城学園前駅ができてから、成城学園が中心となってその開発を進めてきました。日本でも屈指の学園都市とも言えるでしょう。
成城大学に続く通りにはイチョウ並木が続き、成城学園の西に広がる整然と区画された地域は、生垣や植栽に囲まれた大邸宅が並ぶお屋敷街となっても今も美しい景観を作り出しています。

住宅地として整備が進んだ頃から柳田國男や大江健三郎などの作家が移住し、まるで文士村と言っても良いような様相を呈していました。
そして1932年に東宝撮影所ができてからは、黒澤明映画監督をはじめ俳優の三船敏郎や石原裕次郎や女優の司葉子、また指揮者の小澤征爾などが移り住み多くの芸能人が住む街という印象を持たれています。

なお成城で当初から一軒家に居住する家の住人たちは、成城憲章という協定を結び、建物の作り方に規約を定めることで街の景観を維持しています。
そこには塀を生垣にすることや地下室を作らないなどが定められているのですが、中には一戸建ての敷地は250㎡とすることを求め、相続などで分割が必要な場合でも125㎡以上は維持すべしとしています。ただ、こうした規約は日本の相続税制や土地の偏重している富裕層の財産構成の中で守り続けることも難しく、成城に限らず美しい景観を持った高級住宅地全般の課題と言えるでしょう。

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