世田谷の高級住宅地②〜成城学園〜

世田谷区内には有名な高級住宅地がいくつかありますが、その中でも特に有名なのが玉川田園調布と成城学園の2つではないでしょうか。今回の記事では、成城学園についてのまとめをお届けします。

成城学園とは?

成城学園は、田園調布と同様に都内屈指の高級住宅地と言ってよく、世田谷区の町名の1つであり、1丁目から9丁目まで存在します。多くの芸能人や文化人が住んでいることで有名ですし、安倍首相の出身校でもある成城大学もこのエリアに存在します。
このエリアは元々武蔵野の雑木林と原野が広がっていた何もないところで、明治の末ごろまでは北多摩郡砧村大字喜多見と呼ばれていました。しかし、明治〜昭和にかけての大教育者小原國芳氏(成城高等学校の校長・玉川学園の創設者)が、情報収集の結果このエリアに小田急線が開通することを突き止め、成城学園拡大のための資金源として近辺エリアの土地の取得と宅地分譲を行ったことに現在の高級住宅地・学園都市としての源流があります。
(上記のような経緯から、成城学園はただの高級住宅地ではなく、学校を中心に地域が形成されていく学園都市のモデルとなった地域でもあります。)

小田急線成城大学駅から成城大学に続く通りには、美しいイチョウ並木が続きいており上品な街の空気を象徴しています。また、成城学園の西に広がる地域は、整然と区画され生垣や植栽に囲まれた大邸宅が並ぶお屋敷街となっており、これぞ高級住宅街という美しい景観を今に伝えています。

文化人・芸能人に愛された街

成城学園の特徴の1つとしては、大正期や昭和期の文化人・芸術家に愛されていたこともあげられます。
住宅地として整備が進んだ頃から柳田國男・野上弥生子など作家が移住してきました。またその後に、大江健三郎・大岡昇平・川上宗薫・中河与一・水上勉・横溝正史などの作家も移住していきます。まさに大正・昭和を代表する文士の街といえるでしょう。
また1932年には東宝の撮影所がこのエリアにできました。そしてそれ以降、黒澤明映画監督をはじめとして多くの映像関係者や、俳優の三船敏郎・石原裕次郎、女優の司葉子なども移り住んできます。その他の有名人としては、世界的な指揮者の小澤征爾も移り住んできました。

成城憲章と相続問題

成城のことを語る上で、成城憲章の存在は無視できません。成城で初期の分譲当初から一軒家に居住する人たちは、街の景観を維持し豊かな文化を守るため、建物の作り方に規約を定める成城憲章という協定を結びこの街の維持に努めてきたのです。

成城憲章には、塀を生垣にすることや地下室を作らないなど家の形式に関わることも、定められていますが、その中には一戸建ての敷地は250㎡以上とすることも盛り込まれています(相続などで分割が必要な場合でも、125㎡以上は維持すべしとなっています)。
こうした規約は相続税がほとんど存在しなかった戦前であればそれほど問題なく守れたかもしれません。しかし戦後富裕層の抑制も目的に行われたシャウプ勧告に基づく富裕層に効率の相続税制のもとでは、成城憲章は守り続けるのが厳しい制限と言えます。

成城地域の路線価

成城地域の路線価は、番地にもよりますが約50万円前後となります。250㎡の宅地の場合、その相続税評価額は1億2500万円と成ってしまいます。
相続税の納税資金を用意できている家庭はいいですが、全ての家庭が必ずしも金銭的に成功を続けられるわけではありません。また相続には納税以外に分割の問題も存在し、250㎡の広さを維持するためには色々とやっかいな問題を生んでしまいがちな土地の共有を行わざるをえないという家庭も出てきます。

成城は他の地域にはない特殊な相続の悩みを抱えてしまいがちな地域ともいえるでしょう。