この1件で教科書が書ける!〜力道山の相続はなぜ失敗したのか(前編)〜


昭和の大プロレスラー、力道山の相続はまさに失敗事例の宝庫であり、この1件で教科書が書けるほどといわれています。

2015年12月18日放送のTBS系番組、「爆報!THEフライデー」では面白い企画が組まれていました。昭和の大スター、プロレスラー力道山の相続というテーマです。力道山は1963年に当時39歳で死亡、残された遺産は40億円(現在の価値で約180億円)と巨額でした。そして、20歳そこそこの若い妻と3人の未成年の子ども、そして当時まだお腹の中にいた胎児の5人が相続人となりました。しかし、最終的に遺族が遺産のほぼ全て失ってしまい、住んでいた家も追われることなります。

一体力道山の相続には何が起きたのでしょうか。それはまるで相続失敗談の集大成のようであり、この1件で教科書が書けるほどと言われています。

大プロレスラー、そして”実業家”力道山の経歴

まず、力道山はどのように財産を築き、その構成はどのようなものだったのかを振り返ってみましょう。もちろん力道山は言わずと知れた大プロレスラーですが、それだけではなく実業家としての顔も持っています。

◼︎格闘家としての活躍

力道山は1924年に誕生、本名は百田光浩(ももたひろみつ)といいます。大相撲の力士「力道山」として、1940年にその格闘家人生をスタートさせました(1940年5月場所初土俵、1946年11月場所に入幕)。相撲においてもその力は凄まじく、横綱相手の取り組みも含めて順調に勝ち星を重ねます。しかし、1950年に突然引退、別の仕事を経た後に1951年にプロレスラーへの道を歩み出しました。

そして、1953年に開始されたテレビ放送の追い風によってプロレス自体が大ブームとなったこと、そして力道山が純粋に強く多くの試合を制したこと、外国人選手地の対戦が受けるなどのキャスティングの妙もあって大レスラー、大スターとして活躍していきます。その収入も莫大なものとなりました。

◼︎実業家としての活躍

また、力道山はプロレスの興行で得た収入と知名度を背景に、実業家としても活躍していきます。住宅関連では、赤坂に高級アパートの「リキ・アパート」を建設、その他にマンションの奔りである高級賃貸住宅「リキ・マンション」も建設します。

その他にエンターテイメント関連にも注力し、ナイトクラブの「リキ・クラブ」を経営します。また、1961年には渋谷の道玄坂に9階建ての常設プロレス場「リキ・スポーツパレス」を作りました。「リキ・スポーツパレス」は、ビヤード場やボウリング場、レストラン、女性向けボディビルジムなども併設された多目的スポーツ施設です。今でこそ類似の施設は多くありますが、前回の東京オリンピックが行われる3年前の時代の話です。事業家としても並外れた発想力の持ち主といえるでしょう。

また、死の直前に始めたので完成はしていなかったですが、相模湖畔に自動車レース場や射撃場、室内スケートリンクなどを併設したゴルフ場「レイクサイド・カントリークラブ」の建設や、別荘地の開発などにも乗り出していました。

◼︎築き上げた莫大な財産

こうして格闘家としても実業家としても成功した力道山の財産は莫大なものになります。その主な構成は、上記の事業用資産の他に自宅(大田区にある1000坪の豪邸)や、数々の高級車など、総額は約40億円とされており、現在の価値にして180億円という大富豪となりました。

ただし、注意すべき点としては、事業用資産含めてこれらの資産の大半は
不動産や動産の類であったということです。

突然の死と相続問題

順調に見える力道山の人生ですが、誰も予想していなかった死は突然やってきます。1963年、ナイトクラブで遊興中に、暴力団構成員とのトラブルにより喧嘩に発展、力道山は腹部をナイフで刺されます。一旦は応急手当てを受けて帰宅、自宅で療養を試みましたが、回復せずに入院します。しかし結局、刺された傷が元となって7日後に死亡しました。

享年は39歳、大スターの突然の、そして早すぎた死に家族も世間も大きく悲しみました。そして家族には、悲しみだけではなく、ひどく大きな相続問題が残されたのです。

(後編に続く)


コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。* が付いている欄は必須項目です。
※運営者にのみメッセージを送りたい場合は、「管理者だけに表示」にチェックを入れてください。